桃山邑氏への手紙

鈴木亜美

17歳の秋、N大学のキャンパスで曲馬館の人達を見かけた。
近寄り難い空気だった。 芝居は見なかった。
友部正人の歌を聞いた。

それから2年後の秋、驪團を観た。
多摩川の河原だったと思う。芝居というものを初めて観た。

水に濡れた衣装から湯気が立ち上る役者達から
発せられる気迫に圧倒され、
台詞が何を言わんとしているか、考えているうちに
ストーリーに置いてきぼりにされ、、。
気付けば夜明まで続く、打上げと称する酒盛りが始まっていた。
テントに泊まった。
議論の渦が彼方此方(あちこち)にできていた。
ただのヨッパライもいたし、そのまま寝てしまう人もいた。
白熱した議論なのか、乱闘なのか、、、。
テントの外に出た1人は鼻血を出して戻って来たが、
1人の姿は消えた、なんてこともあった。

寒くて泥臭くて、湿った空気は、何もかもが
今までいた自分の世界と違い過ぎた。

オマエハナニガシタイノカ。 オマエハナニヲスルノカ。
もう1人の自分の声が聞こえた。
私はテントの中でもう一度生まれた。

それ以来、私は桃山邑という人と共に芝居を作る集団に魅せられた。
気がつけばもう30年以上テントの周りをうろついていたことになる。
テントの内側に行こうと思うことは一度もなかったが、
あの出会いがなければ、
今の自分はまったく別の人生と人格になったと思う。

そんな自分がまさか
fish boneに原稿を依頼される立場になるとは
思いもよらなかった。
もうfishboneは何号出ているだろう。
多くの人たちが水族館劇場の魅力を語っている。
今さら私などが水族館劇場を語れる言葉は見つからない。

なぜこれほど彼らに惹きつけられるのか、
未だにうまく解析できず自分を持て余している。
よくよくよく考えれば、私は
この集団のどこに惹かれているのだろう。
やはり誰も否定できないであろう、
この集団の中心にいる桃山邑という人に
最も魅力を感じているのだ。
そこでこの場を借りて直接桃山氏に問うことを思いついた。

拝啓 桃山邑さま

今年も残すところ半月となりました。
今ごろはさすらい姉妹の準備に取り掛かっていることと思います。
今年は観に行(ゆ)けるでしょうか。

昨年はテントの外にいる私にまで
水族館のただならぬ気配は伝わってきました。
しかし今年の6月の駿河兇状旅公演を観て、
新生水族館劇場の清々しさを感じ入りました。
これからも、現代河原者を自称する水族館劇場の行方を
見続けていたいと思います。
テントの中で繰り広げられる物語は蜃気楼のような幻で、
残像はすぐに薄れていく。
しかし、何かがシッカリと残される。
「自分の芯には 光る石 が確かに残っている」
それが私の水族館劇場だと思います。

貴方をみていると胸が苦しくなります。
そこまでして貴方を芝居に立ち向かわせる
執念ともいえるエネルギーは何処からくるのか。
なぜこんなにも言葉を紡ぐエネルギーが途切れないのでしょう。
沢山の書き物を自分のものに取り込む力はどこでつけたのですか?
人々に向けられる優しいまなざし。
自らを座付き作者と称しながらも、それだけでなく
集団を束ねられるのは何故?
沢山の人々との人間関係の波の中を渡っていくどこまでも気配りの人。
人の話に耳を傾けることはできるが、自分を見失わない人。
反面ふと見せる孤独感と弱気。
意外とこだわりのあるディープなファッションセンス。(笑)

年に1度だけテントの内側に入ることを許され、
年に数回だけ明け方近くまで貴方の熱を帯びた話を聴いている私は
水族館劇場だけでなく、
桃山邑に美しい幻想しか持っていないのかもしれないですが。
貴方はいつから「桃山邑」になったのか。
桃山邑という人はどのように作られたのか。
どんな人生にも乳のみ子の時間(とき)があったはず。
貴方自身の口から自らの大本(おおもと)の物語を
「イマ聴きたい」と思っています。

鈴木亜美さま

あなたとはほんとうに長いおつきあいになりました。
芝居を継起しつづけることはほんとうに困難をともないます。
かつてたくさん周囲にいた仲間たちもひとり減りふたり減り、
いまでは片手の指で数えられるほどに少なくなりました。
つかずはなれず。たがいに別の道をあるきつづけたことが
仲違いもせずに交流できた秘訣なのかもしれませんね。
それでも若いあたらしいメンバーが集まり支えてくれているぼくは
存外しあわせ者だと思います。

さて。
みはてぬ幻のこのさきには堕ちるべき地獄しかないと
わかるようになった年齢になって
よみがえる追憶のまま、ご質問にこたえます。
「桃山邑」がはじめて地上にあらわれたのはいまから40年近く前です。
窓から煤煙を吐き出し続ける煙突がみえる新子安の安下宿で
小さなこたつにくるまりながら、
痩せこけた6人の若者が映画の脚本を完成させました。
『無頼風』というタイトルのその自主映画は16ミリカメラで撮影され、
どこにも公開されることなくいまではフィルムじたいが消滅しています。
皇居の二重橋をテロリストが渡ってゆく、という
無謀なゲリラ撮影をふくんだ楽しいものでした。
共同執筆された台本の作者として「桃山邑」はうまれたのです。
当時はそういうことが流行だったのかもしれません。
『世界赤軍』の「夢野京太郎」や若松映画の「出口出」など
群体をあらわすペンネームはいたる場所にあふれていました。
「桃山邑」のひとりにすぎなかったぼくが、
やがてひとりで「桃山邑」を背負うことになるとは
当時考えてもいなかった。
生きるということの紆余曲折を経たいまでも
集団というやっかいな観念にとりつかれているぼくの臍の緒は
このあたりにあるのでしょう。

はじめぼくはみんなだった。
みんなはすこしずつみんなでなくなり、じぶんがうまれた。
みんなはじぶんに帰っていって、やがてぼくはぼくだけになった。
最初からぼくはじぶんというものに興味がもてませんでした。
自意識なんか犬にでも喰わせたほうがマシ。ということを主張していました。
ぼくはぼくの血脈がまがいものであることを隠されて育てられました。
そのことを知ったのはほんの偶然です。
その偶然がなければぼくは世界を疑うことをしなくて済んだでしょう。
ほんとうのことを告げられないじぶんが宙吊りにされたまま
ほんとうのことを知った後の世界の崩壊を忌避していたのです。
なにが真理でなにが虚構なのかもはや識別は不可能でした。
性懲りもなくぼくが芝居という仮構に遊弋していられるのは
きっと棲み処としてもっとも自分にふさわしいと感じるから。
恃むに足るじぶんなどどこにもいない。
これが桃山邑を背負いつづける本音なのかもしれませんね。
できれば幻の結末はつぎのようなものであってほしいとも考えます。

ぼくだけになったぼくからやがてぼくじしんも消えてゆき
ぼくはぼくに脱ぎすてられた。
ぼくはほんとうに抜け殻になった。
抜け殻になったぼくはながいあいだ風にさらされ雨にうたれ
ボロ布のようにしおたれていたが
やがて誰かがぼくにはいり、ひとり増え、ふたり増え、
終わりのない繰り返しのように
ぼくはすこしずつみんなになった。

ではいずれまた。

「プロブレム」
桃山邑さま

ご丁寧なお返事ありがとうございました。
いつもの桃山さんの文体と異なるやさしいもので、こころ動かされました。やわらかく黒々とした耕された土に水を打ったような、そんな香りがしました。

桃山邑が生まれた経緯(いきさつ)は初めて聞きました。

桃山邑は幻なのだろうか、私が知る貴方は情に篤い、ものしりで、一途に自分が信じる芝居を追い続ける確固たる人格です。桃山邑という衣(ころも)を纏ったぼくと自らを呼ぶ貴方の魅力は奥深い。
貴方のいきざま、書くもの、芝居として現れてくるもの、集団のとてつもない力(エネルギー)、そのどれからも目を逸らすことができず虜になっています。

生まれる時は一人。  死ぬ時も一人。
魂が肉体を離れ、引き継がれていくものといかぬもの…。

「黒船前後」兇状旅駿河篇の勧進元の一員であったことから、今年ほど自分にとって水族館劇場とはナニモノなのかを考えた年はありませんでした。
たぶん、結論の出ないこのプロブレムと共に来年も過ごすことになるでしょう。いざ、芸濃町へ。ありのままの自分をひっさげて必ず観に行(ゆ)きます。
再会を楽しみにしています。