この世界の片隅がもうすぐなくなるものだとしても

黒船前後 前狂言 抄録

対談 – 毛利嘉孝×桃山邑 at 静岡大学 2015.6.3

毛利 まずは『黒船前後』というタイトルの話からしましょうか。実は打ち合わせをまったくしなかったわけではなくて、打ち合わせと称して一回飲みに行ったんですよね(笑)。その時に歴史の話をしたいと伺って。僕は、桃山さん、水族館劇場の中に顕著に見られる奇妙な時間の関係軸、歴史がすごく反復されていく感覚、あるいは、過去の歴史のことを題材としているんだけども、観ているうちに、「あれ?これって最近の話だよね」っていう、いろんな最近のことが混ざってきたりする感じだとか、そういうふうに最近のことだと思って観ていると、また過去に戻って行ったりと、時制がはっきしないような、ストーリーラインを描いているのにいつも関心がありました。意図的にやりつつ。服装なんかもいつの時代ともわからないとか。非常にその時空を超えたというか、昔のものでもありながら、でも今もこういう人いるかもしれないと思うような、そういう独特の時間の体験。

その中で今回『黒船』っていう時代をまず選んできたことが、まず面白いと思いました。これについては僕なりの解釈もあるんですけど、まずは桃山さんのほうから少し『黒船』について話してもらえればと思います。

桃山 この芝居は、去年の暮れにさすらい姉妹でやられた台本を受けるかたちで幕末をしらべて書き始めたものなんですが、5月の末に、沖縄の翁長知事が特派員記者クラブで、基地問題と沖縄の歴史的立場について、かなり安倍政権を批判するような、僕から言わせると「よく言ってくれました」というふうな感じの記者会見があったんですね。その中で「ペリーは日本に来る前に、琉球に来てますよ、5回来てますよ」と。「琉球処分の前なので、独立国家、独立王朝、琉球王朝として、和親条約を結んでいますよ」と。これは僕が台本でやろうとしていたことと重なったかなという感じでちょっと嬉しかったんですね。ペリーは、アメリカの提督、海軍の提督として開国をせまりにくるわけです。その時代と今の時代が、重なる所とズレる所といろいろあるんですが、その辺の微妙なねじれを出したかった。毛利さんにも指摘されたように時間軸のあいまいさを芝居の上で手渡せればいいかな、ということで設定しました。それだけではないんです。実は、今日の芝居の種明かしみたいなことになりかねないんですが、台本通りに役者が台詞を言うかわからないので(笑)、さきに言っちゃいます。実はこの時代を選んだというのは、僕たち自身にかかわる重要ないくつかのフィルターがかかってます。公演地を追われた水族館劇場を静岡の人々が受け入れて、今日公演が出来るんですが、東京では、アウトなんですね。東京では「水族館劇場は罷り成らん」と。「どうしてですか?」っていうと、「危険過ぎる」と。「それは思想的に危険なんですか?それとも劇場構造とかそういうところの危険ですか?」と聞くと、「あらゆるところで危険である」(笑)と。とても許認可の対象ではないということをひきうけたうえで公演を続行していたのですが昨年は区から仮設劇場は認めないという通達がきました。一級建築士とか設計事務所の先生とか総動員しまして、仮設小屋自体が美術インスタレーションということでやったんですが、幕をあけたら反対派の付近住民の通報で毎日パトカーと消防車。やってはいけないというところで身をひきました。さっき小二田先生のお話の中であったんですが、あまり行政管理地ではやっていないんです。やらしてもらえないんです、公共の所では。そこの問題は追々議論が白熱してきたらちょっと喋らしてもらおうかと思っているんですが、何が言いたいかというと、「兇状旅」というふうにチラシにあるように、江戸を追われてきたわけです。この『黒船前後』の時代に、同じように、江戸の歌舞伎役者が追われてます。五代目市川海老蔵です。今は海老蔵から團十郎襲名っていうふうになっているけど、昔は團十郎から海老蔵だったんですね。このひとが天保の改革で、手鎖につながれる。江戸の華といわれた庶民のヒーローに権力が嫉妬する。非常にわかりますよね。今の海老蔵さんが六本木で暴れたりするのも、しょうがないんじゃないかなあ、そういう血筋なんだから(笑)と。ゴロツキなんですね、やっぱり。昨年まで制作をしてくれてた早稲田演劇博物館の梅山いつきがかつて海老蔵に対応したことがあるらしく唖然としてた。早稲田の演劇博物館に行った時に「あの人は足を机の上に投げ出して蕎麦をすすっていた」と。「歌舞伎の古い本があるのに、蕎麦の汁がかかろうがなんだろうが、へっちゃらだった、ひどい」って言うから、「そういうもんじゃないの」と。僕じしんはそういうもんじゃないですよ(笑)、非常に書物は大切にするな人間なんですが(笑)。やっぱり追われてしまいました。これは重ね合わせてます。江戸から追われて、どこに行くかというと、静岡に来てるんですよ、五代目は。そういうふうにどこかで、リンクする処があって幕末ぜんたいの時間をずらしているんです、意図的に。権力の取り締まり対象はもうひとつ風俗、春画のたぐいですね。だから絵師たちも登場します。お栄さんという、葛飾応為ですね。『百日紅』と言ったほうが皆さん分かるかもしれませんが。今、流行りモノですね『百日紅』は。流行りモノを取り入れるというのが、僕の得意技でして、アングラというよりポップなんです。毛利さんのポップ概念と僕のポップ概念はぴったり一致して、すぐに毛利さんが大好きになった。ポップとは賞味期限の非常に薄いもの。そのことにいさぎよい。ということでいえば、偽アングラの烙印を押されている水族館劇場はまさにそれに相応しいと。要するに、何処にも属しない独特のものという言い方も反転すれば可能なわけで、そういう存在が、正月の渋谷の政治の坩堝の中にあってもいいんじゃないか、大晦日の山谷の中にもあってもいいんじゃないか、駿河のライブハウスにあらわれたっていいじゃないか。それが水族館劇場だよといいたい気分がある。もしかしたらそういうアモルフな志向、時代精神というものを、最も強く表していたのが、現代と幕末の時代じゃないかと。土佐からは絵金という、金蔵というのが、物語の主人公でもあるんですが、出てきます。北斎も、絵金も、実は、追放されているんですよね、狩野派から、御用絵描きから。というのも悪いことばっかりしてるから。偽の絵を描いたり、盗品を売ったりなんかしてたみたいで。そういうのも僕は非常に惹かれる部分があります。そこは今言ったように、現在という時制のなかの解決されないアポリア、これは毛利先生のほうの専門のほうになるかもしれませんけども、社会学的に、今の沖縄の基地問題、それから琉球という歴史的存在、そういうふうなことで色んな人の思いが錯綜している、アジアの海域ですよね、大陸があって琉球があって日本があってというアトラス。その辺は毛利先生が地図を今日、作られてきたのでみせてください。

(ペリーの航路@モニター)

毛利 少し僕なりの解釈を付け加えます。ペリーって、アメリカから来たわけですよね。で、今日的な視点で考えるとペリーって太平洋を超えて来たんだろうって思いがちなんですけが、その当時ですから太平洋航路ってまだ出来上がっていないわけですよ。東海岸から来るのは北極を通って来る以外ない、というか基本的に来る方法がない。というわけで、ペリーもそうですが、主にアメリカから東アジアに来る場合には、ヨーロッパを経由して、ケープタウンを越えて、モーリシャスを抜けて、シンガポール、マカオを周って、で、琉球に来て、小笠原経由で浦賀に来る。これ自体、今の日本とアメリカの関係を考えると示唆的な感じがするんですね。

今の常識的な理解だと太平洋を挟んで日本とアメリカが何かある関係性を持っているけれども、そういう太平洋を媒介とした関係性を持ったのは、第二次世界大戦以降の話。特に太平洋戦争があったので、太平洋をめぐって対立するようになりましたが、少なくとも、その関わりの始まりにおいて、アメリカにとっての日本ってヨーロッパからアジアの先にあったんですね。逆に日本にとってのアメリカもヨーロッパの先にある国だった。太平洋を挟んで日本とアメリカは対峙していたわけじゃなくて、日本というのはあくまで極東なんです。東の一番端っこにあるところにあって。

さっき沖縄を日本と東京に置くというのはこういうことなのです。1853年にペリーは浦賀に来て「国を開けるかどうか考えておけよ」と言って帰っていったわけですけど、実は帰ったといっても、アメリカに帰るわけではなくて、すぐ近くで待っているわけでね。それが当時イギリス領だった香港。

桃山 そうですね、琉球から香港に。清を侵略していたイギリスにもにらみをきかせなければならない。

毛利 琉球から香港というのも重要ですね。もし日本が開国を受け入れなければ、少なくとも琉球を植民地化しようと決めていたと言われている。ある意味で第二次世界大戦と現在の状況と同じですよね

桃山 同感です。

毛利 ある意味アメリカは日本との関係の中で最初からずっとそういうことを考えていたわけです。 むしろ、その関係の中で日本は歴史的、地理的に位置づけられてきた。琉球、小笠原、香港。

桃山さんは桃山さんの解釈があると思うんですけど、僕にとってのこの辺の開国の問題で興味深いのは、鎖国というものが実際に何を意味していたかということです。当時は鎖国っていうほど、きちんと鎖国出来ていたわけではないという議論が最近あります。 当時の湾岸警備技術なんてたいしたことないから当たり前なんですね。とりわけ東アジアの一帯、九州や朝鮮半島、沖縄など海洋地域というのは、江戸時代の鎖国以降もずっと一定の交流が存在していた。漁師の間では日常的に行ったり来たりしていたし、海賊も跋扈していた。日本人と呼ばれている人の中にもバイリンガル、トリリンガルの人たちもたくさんいて、いろんなビジネスをしていたはずです。それを厳密に取り締まる方法もない。鎖国をすると、ヨーロッパとの関係や外交的なことや公的なことについては、確かに管理していたかもしれない。けれども日常的な関係については色んな人が出入りしているわけです。

では、開国、それに続く明治維新が何をもたらしたかというと、それはむしろある種の人にとっては「鎖国」でした。国と国の関係をきちんとしたうえで、全てを国家が独占的に関係性を作っていく。だから、そこで各都市のトランスナショナルな漁師や海賊たちがやりとりしていたみたいなことが許されなくなる。そういうのは国家間の関係性で決めていく。中央集権がメインになるわけですよね。だから江戸時代の方が、先ほどの桃山さんの言葉で言うと、グチャグチャとウジャウジャといっぱい移動していた人たちがいるんですけど、移動していた人たちを切り捨てていく。自由な移動は許さない。国と国同士との関係性でやっていきましょう。というのが明治維新だったとも言えます。それはまさに国民国家の形成でもあるし、もっと言うと国民教育とメディアを通じて標準的な日本語をきちんと喋る人を育成していく過程でもある。さまざまな統治技術を動員しながら、北海道から沖縄にいたるまで日本という文化的に均質な空間を形成するという作業をしたのが明治維新であって、その均質化のなかで、さっき言ったグジャグジャウジャウジャした人達が切り捨てられていったていうのが、この時期。

桃山 そうですね。北の方ではアイヌ民族が旧土人法で、国家に吸収されてゆく。琉球の人も自分たちの言葉を禁じられた。渡辺京二さんが、「近代の呪縛」みたいなことで、書いていたのがあるんですが、やはり国民国家というのは、これいいことなのかどうかというのが、よくわからない、というよりは、あんまりいいことないんじゃないか、みたいに考えてしまう。ただ、弱いと、やはり、パワーズ、欧米のパワーズに攻められると。江戸もやっぱり知識人というのはかなり情報を仕入れていて、清国がボロボロにされているというのは絶対、もう分かってましたよね。同じようにヤラれたらどうするべ?ということで、おそらく長州薩摩から明治維新を起こすような人たちは国民国家を形成しないと、とてもじゃないけど太刀打ちできないと、レベルが違いすぎると、向こうは黒船に乗っているわけですから。だからやっぱり、そういう流れの中で明治維新。夏目漱石が、超エリートとしてイギリス行って、頭がおかしくなるんですね、たしか。夏目漱石はこんなこと言っていると思うんですよ、「どうしようもない」と、「本当は自分達が育んできたものっていうのを大事にしたいけど背広を着るしかないぞ」と。「裃を脱いで。とりあえず我慢しないと、この国は持っていかれる」というようなことを。でも、その「この国を持っていかれる」っていうことと、全く関係ない人々が江戸の町には住んでいたんですよ。それが長屋の熊さんと八さんとかっていわれる人達で。僕にとっては、山谷のおじさんだったり。山谷のおじさんだったりとかって言ってますけども、僕自身も、日雇い労働者のひとり。もう明日もない状態なんです。去年はもう仕事も無くなって七転八倒しました。今年はもっとひどい。身体が壊れたら、肉体労働の人間は、いくら腕が有っても、ダメ。職人とは言っても、自分達がプライドを持っているだけで、企業は救ってくれません。労働力が不要なときはいらない。何故かというと、保証しなきゃなんないから。仕事がなくなるとゼネコンはしらんぷり。このままだと家賃も払えなくなる。このままだったら、次どこ行くかというと、ホームレスになるしかなくなる。これは本当にリアルにそうなんです。だから共感できるんです。力が弱くて、能力がなくて、路上に追いやられたんではないんです。むしろ欲がなくて、欲望がなくて、なんていうんですか、自分達はここでいいんだっていう礼節を知っている人達こそが、権利の声を建築現場で上げられないで、「いいや、オレ怪我しちゃったから、申し訳ないよ、監督に迷惑かけちゃって、病院代持てよ、生活保障しろよ。とてもこれは言えないなあ」とかって我慢する。こういう田舎の人達が、出稼ぎに来た人達が多いんです。構造的な問題はみないんです。長屋の熊さん八さんなんです。それと、なんかね、長州とイギリスが戦争が終わった時に、イギリスの弾を運んでいた農民がいたらしくて、どっちの味方かなんてかんけいない。そういうのが僕大好きなんですよね。自分達が解らないわけですから、世界地図が。知らないよ、という。それで福沢諭吉があわてて、これはまずい、というので、みんな学問しろとすすめた。学問して世界がどうなっているのか知らないとこの国はおしまい。知識というのは、やっぱり情報とか知識というのは、その人の力になるからと。それで国民国家というか、まさに今毛利さんがおっしゃったような、言葉を統一して、文化も統一して有事にそなえて防御しましょう、みたいな。鎖国というのは、ぼくは初めて、保守としては素晴らしい発想だなあ、と思った。逆に鎖国、明治維新になって閉じた部分があると。国と国というものが、たぶん明治の時代になるまでは、もうちょっと、ルーズだったんだね。で、そこが水族館劇場が存在する、たぶんエリアなんじゃないかなあ、というふうな気がしてるんです。そういうところを、本当に細かく説明して想像力を刺激してくれる人の一人が小二田先生だったり毛利先生なんです。

 

 

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桃山 ミンストレル・ショーのことも、ちょっとおっしゃってください。

毛利 ああ、そうですね。事前に準備していた話をします。ペリーの話に戻しましょう。実はペリーが来た時に、黒船が日本を招待して、横浜でミンストレル・ショーを見せたんですね。ミンストレル・ショーって、白人の人達が黒人の格好をして、黒人奴隷の音楽を演奏して、ポーズをとったり踊ったりして人々を楽しませる当時のエンターテインメントです。船旅は長いので、ペリーは結構色んな人達を連れて来ているんですよ。そういう中で連れて来られた人の中にエンターテイメントの人達もいました。そこでこの絵のように日本人の前で見せたんですね。これはたぶん日本人が洋楽に触れた最初のものだし、と同時に日本人が初めて黒人文化に触れたものだったはずです。

ペリーとか黒船がもたらしたものは、もちろん開国せよという政治的な要求だとか、それに繋がるある種の資本主義・近代主義なんだけど、同時にこういうエンターテイメントだとか、人種文化などを同時に持ってきたということは、きちんと押さえて置くべきだと思います。

『黒船前後』っていうタイトルを聞いた時に、最初に思いだしたのはこの絵でした。そうか、アメリカからこの時洋楽、ポピュラー音楽が来たのだったと。それは、でもこれは一体何だったのだろうかって。 ミンストレル・ショーの話は、日本のポピュラー音楽研究者にはよく知られています。僕は、三井徹さんの講演でこの話を最初に知りました。「日本に西洋ポピュラー音楽は紹介されたのはいつなのか」っていったら、実は明治維新の前にすでに紹介されていた、と。もちろん日本のポピュラー音楽の発展は、20世紀初頭のレコード産業の発達と結びついたものです。でも、すでに江戸の末期に入ってきた最初の西洋ポピュラー音楽がミンストレル・ショーだったということの意義を考えたいとまず思いました。それは、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパを結ぶ奴隷貿易を基盤とした植民地主義、帝国主義の一つの象徴でもあったわけです。

(反復する歴史?@モニター)

毛利 このことを踏まえた上で、今私たちがみているのは幕末の反復、そして第二次世界大戦の反復として読むこともできる。 まず地震が反復している。あまり語られていませんが、幕末は大地震が頻発している時期でもあります。1855年の安政の大震災は、桃山さんの今回の演劇で使っているテーマです。もちろん東日本大震災を関東大震災と比較するのはそれほど難しくありません。明治維新の一連の流れと昭和維新とも呼ばれた226事件などのクーデター、そして、そのこれ貧弱なパロディとしての「維新」ブーム(笑)。今も維新を名乗っている人が、活躍してるんだか活躍してないんだか (笑)よくわからない方がいるなあと思ったりしますが、明らかにその二つの時代に対する憧憬を見ることができる。

だいたいね、1980年代あたりに江戸ブームが起きるんです。 あの辺から様子がおかしかった。というのは、日本の近代化は、江戸的なものを否定することによって始まっているんですよね。明治維新というのは、京都から天皇が来て、江戸を否定して東京を作るわけでしょ。だから江戸的なものを全部排斥して、京都的なものをどうインストールするかというのが大きなテーマだった。けれども、どうやら80年代から日本人のルーツは江戸にあるみたいなことを言って地下鉄に大江戸線なんて名付けてしまう。で、次は維新。この反復はヤバい(笑)。メンタリティとしては、今なんか政党だけではなく維新気分の人たちが奇妙な形で勢いづいている。大江戸線の名付けの親の石原知事から、最近大阪に維新というが生まれる。それと震災が起る。安保法案を可決する。

この過程の中で地球の地図の見方が黒船の時代に回帰している。 太平洋戦争は、太平洋というのを中心としながら日本人が世界というのを把握する。日本が中心にあって、その周りにある太平洋に対してテリトリーを拡大するというものです。そのなかで、大陸の侵略の記憶が戦争から周縁化されてしまった。戦後教育の問題はそこにあります。我々は地球の世界地図を見たときに、 そういう地図を見てきました。

今、急に、誰も考えたこともなかったような、安倍政権がいうようにホムルズ海峡の機雷をどうするかとか、中東情勢をどうするかっていう議論が出てきた時に、唐突な感じがしたんだけど、今どうやら地図が書き換えられているんですよ。もちろん、今の政権の時代遅れの覇権主義は狂っている。 でもその狂っている地図のあり方は、その黒船の時の地図、そこでアメリカとどういう関係性を作るか、作れるのか、というイメージのリサイクルで支えられている。この続きを演劇を観た後にまた続けられればと思います。

小二田 というわけで、もうそろそろ。

桃山 フリーキーショウでの芝居の開演時間が迫っているんですけど(笑)

小二田 開場時間が6時半なんですが、開演は7時ですね。準備もありますので、ここは盛り上がっても終わらなきゃいけないので、芝居を観て、また、という感じで。

桃山 本当は質疑応答やりたかったんですが、それやってると間に合わないので開演に。来て頂ければそこでちゃんとお話します。今日の話、毛利さんとの対談のご質問でもいいし、ぜひこのまま全員で行って頂ければ、静岡サイドのほうも喜ぶんじゃないかと思っているので、今日はフリーキーショウが賑やかなお祭りになるように、がんばってやっていきますので、よろしくお願いします。毛利さんありがとうございました。