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ゴーマン千代次 『たわけ』 日記

〇月×日
天皇がペリリュー島へ出向くという。ペリリュー島の存在すらしらなかった。あまりに間違った権力者の姿ばかりみていて「このたわけ!」と叫んでいる私の心から涙が湧いてでた。わけのわからない総理大臣よりも天皇に権力を与えたほうがいいのに!と乱暴にもかんがえる。

〇月×日
中村とうよう展イベントをみに武蔵野美大へ。このところ縁あっていくつかの大学にいったが建物を新築した大学はつまらない。キャンパスがない。校庭ーー共有の庭といったらいいのかーー例えばベンチがあり、一人ポツネンとしていても世界とつながっている場ーー通りすがった友人知人見知らぬ人がふと隣にすわって言葉を交わすーーベンチとはそういうものと思うがそんな場がない。(近頃の真ん中に仕切りのついたベンチには腹がたってならぬ。寝転がることの何が悪い!そして仕切りは見えない壁を作ってる)それに語りかけたくなる大きな木がない。息苦しい。人を孤立させてく道をなんでわざわざつくるんだ。こんな建物をデザインしたのは誰なんだ!たわけ! 荒れた心でみたせいなのかとうようのコレクションしたアフリカやアジアや北米の楽器たちが愛しくない。真っ白な壁に整然と吊るされて照明をあびているのも気に入らない。楽器は人が奏でてこそーーあるいは指のあとや泥や汗のしみそれに森や酒場や街の匂いがしてこそなのでは。ここには「お話」がないじゃない か。…野の花は野におけ…私はなんか悲しくなる。

〇月×日
市報に「猫は室内で飼いましょう」という呼び掛け記事が。「何だと!」私の心は一瞬にしてスゴむ。猫の気持ちになれ!たわけ共!そのうち国(市どころではない)が屋内で飼えっていってるじゃないですかと「この私」を批判する良識人間がでてきちまう。良識派という人種の自信ときたらない。猫の飼い方まで管理されてたまるか。私は猫に外にでちゃいけないなんて絶対言えない。

〇月×日
サルガドを撮った映画に。地球が強烈な生命体であることをみせつけてくる写真の数々のあと、ルワンダやボスニアの血生臭い死をみせつけてくる写真の数々。 私に食い入ってくる。それらの映像のあとサルガドが「人間に救いはない」と結論を語った。そこから彼がどこにいくのか。息を詰まらせて次のシーンを待っ た。言葉を待った。私もそう思ってしまうから、それでも生きてくんだからどうしたらいい?サルガトが道をしめしてくれるかもしれないと。その道は地球へのオマージュだった。人間が動物より優れているのではないという考えのもと様々な生命との共存。その方法としてサルガドが取り組んだのは森林復活。世界の緑化。そこにこんな別の人の声が。「社会派といわれてきたのにいいのか」それに対するサルガドの応えはなかった。で、エンドマークだ。えっ?その道なの?私は梯子をはずされ迷いの海へバッシャーン!!だ。