昨日の夜に
秋浜立
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「80まで生きるから
 また会えますよ」
と彼女は言った。
いやいやいや。
「そんなのわからないでしょ」
と返すのが精一杯だった。
彼女は去っていく。

ぼくは昨日、
ちっとも書けない原稿を
後回しにして、
ある舞台を観に行ったのだった。
ギリギリの時間になってしまい
早歩きで歩く夜の大通りは
暗くて人通りもない。
遠くに見える山門に
明かりが灯っている。
ふと白い人影。
彼女だった。
何年ぶりだろう。

舞台は素晴らしかった。
天使の歌が響く中、
亡霊が舞っていた。
鬼がのたうち回っていた。
だけど僕は
気もそぞろだったかもしれない、
彼女を呼び止めなければ
いけないのだ。

山門を出て行く彼女の後ろ姿。
案の定だ。
急いで外に出れば
大通りの向こうには神社。
鳥居がひっそりと建っている。
待って待って待って。

「せっかく久しぶりに
 会えたんだから一緒に」
と懇願する。
「80まで生きるから
 また会えますよ」

彼女は去っていく。

いつものことです。
だけど積もる話があるが
あると思うのです。

だってこの世界を
教えてくれたのは
あなたじゃないか。

水族館に誘ってくれたのは
あなたじゃないですか。
とは言えず、
「また縁があったら」
と、踵を返して山門に戻った。

水族館の仲間たちの何人かは
酒を飲んで話せば
決まって始まりの話になる。
なぜ出会ったのか。
なぜ引き寄せられたのか。
いつも何度も繰り返される。
それは必要なことなのだろう。
というか話をせざるを得ない
何かがあるのだろう。

亡霊は語られなければいけない。
鬼は語らなければならない。
何度も何度も。
あの手この手で。
始原を繰り返すのだ。

ぼくは一人、
路地を歩きながら
そんなことを考える。
路地をぬけると
舗装された道路にでた。
両側を木々が覆っている。
亜熱帯の森のような
暗くて重たい木々が
ざわざわしている。
青白い道が続く。
さらに歩く。

何十年かが過ぎた。
森で何度も芝居があった。
森の向こうの基地からは
何度もヘリが飛び人を殺した。
裏切りがあって妥協があって
それでも芝居があった。
道はいよいよ闇となって
暗い森に溶けあった。
怖くなって立ち止まると
向こうに彼女がいた。
ちょうど80になったろうか。
やはり美しかった。
こんどこそ
待ってほしいと懇願する。
「800年生きるんで、また」
それはないですよ
でも しょうがないですね
じゃあ芝居の準備を
始めないと、

とか考えながら
歩いているうちに
ようやく地下鉄の駅が
見えてきた。
これが昨日の話。