「危機」の時代にあらためてベンヤミンを
毛利嘉孝
-----------------------------------------

すでに70年以上前に特異な歴史哲学者であるヴァルター・ベンヤミンは、次のような断章を書いている。

「ホモ・サピエンスのわずか5万年は」、と比較的最近のある生物学者が言っている、「地球上の有機的生命の歴史に比べれば、24時間からなる最後の2秒ほどにあたる。いわや、この文明化した人類の歴史は、この物差しに当てはめるなら、最後の一時間の最後の一秒の、そのまた5分の1というところであろう」(出典不詳)。  メシア的な時間のモデルとして、全人類の歴史を途方もなく短縮して包括する現在時は、人類の歴史が宇宙全体のなかで見えているその姿と、ぴったり重なる。
「歴史の概念について」XVIII(浅井健二郎監訳、久保哲司訳)


最近では、地球史の一瞬にすぎない時間に名前を与えて「アントロポセン」と呼ぶべきではないかという提案が地質学者からなされている。ベンヤミンの言葉を借りれば、「最後の一時間の最後の一秒の、そのまた5分の1」にすぎない人類史のほんの瞬く合間に産業革命が起り、有機的生命体としての地球を破壊するかもしれないような惨事を引き起こし始めているのだ。  私たちに今必要なものは、この瞬時のカタストロフをスローモーション映像のように1コマ1コマ分解し、徹底的に検証する能力である。圧倒的に私たちを流そうとしている歴史の濁流に対して、ベンヤミンが愛したパウル・クレーの「歴史の天使」のように。 

「新しい天使」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、今まさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている・・・彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつカタストロフ(破局)だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫の上に瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破滅されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹き付けて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
「歴史の概念について」IX


2016年は、世界史において決定的な変化の契機として記憶されるのかもしれない。英国の欧州離脱。トランプのアメリカ大統領選挙勝利。そして、現代のホロコーストとも言われるシリア、アレッポの惨劇。不安なままに2016年から2017年へと世界は移行しつつある。世界はどこへ向かうのか。しかし、ここで何かが決定的に変化しているという思考こそ疑うべきかもしれない。第二次世界大戦でカタストロフが中断して、「平和」な時代があったという歴史観そのものが問われているのではないのか。実際1945年の「戦後」以降、朝鮮半島で、ベトナムで、そして何よりも中東で戦争ななかった時代などなかったし、そのことを私たちは知っていたはずではなかったか。

ベンヤミンは次のようにも言っている。

抑圧された者たちの伝統は、私たちが生きている〈非常事態〉が実は通常の状態だということを、私たちに教えている。この教えに適った歴史の概念を、私たちは手に入れなければならない。
「歴史の概念について」VIII


2016年から2017年のさすらい姉妹の寄せ場巡業公演に、昨年に続いてバッタもん演出家としてお手伝いすることになった。演劇の仕事は、どれほど嵐が強くとも「天使の眼」を保持し続けることに他ならない。それは、私たちが生きることを可能にしてくれた幾億兆もの死者と会話する回路を繋ぎ止めることなのだ。