running side-by-side
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水族館劇場の方々と知り合ってからまだ3年。
劇団の歴史や、その活動を支えてきた他の方達からすると流浪堂は新参者であります。こいつは誰だってお思いの方も多いと思いますので、まずは自己紹介からさせてもらいます。

流浪堂が目黒区鷹番に店を構えたのは今からおよそ16年前、2000年のゴールデンウィーク前でした。あ、言い忘れましたが流浪堂は古本屋です。26才のときにたまたま古本屋というものに出会い、面白くなって、いきおいで始めてしまいました。それまではバンドでドラムを叩いていました。高校を出て、私生活はふらりふらり流浪の身でしたが、バンドにかける情熱はなかなかのもんだったんじゃなかったかなと今でも思います。バンド活動は順風満帆というわけではありませんでしたが、本拠地東京での多数のライブ→アナログ盤やCD(自主制作)発売→日本各地の巡業、そしてその後の海外公演の成功→事務所(インディーズです)との契約→さあこれからって時にまさかの解散…
解散理由は、事務所との関係、それによるメンバー間の軋轢、脱退等々が主たるものですが、言ってしまえばボーカル以外がガキだったこと、属したことによる不自由さ・息苦しさに耐えられなかったということです。理由はどうであれ、最終場面で僕らはぐっと踏ん張ることができませんでした(唐突ですが、だから桃山さんや仲間たちの、何処にも寄らず自分たちの力で立つ姿勢、そしてメンバーの脱退があってもそれを乗り越え、なにくそっと活動していく力強さに感動してしまうのです。)
話が逸れましたが、流浪堂はなんの計画もなくいきおいで始めてしまった店なので、いつ潰れてもおかしくないし、果たして何ヶ月もつのだろうかという不安はたしかにありました。反面やってやれないことはないことはないという変な自信もありました。銀行には数百万の借入れがありましたが、バンドマン時代の収入源だった内装業・解体屋・引越屋など肉体労働の掛け持ちをまた始めれば、ダメだった時にもなんとか返済できるだろうと、とにかくがむしゃらに働いてここまできました。
苦しい時期も何度かありながら継続できた理由を考えてみると、それは綺麗事でもなんでもなく、ひとえにお客さまのお力添えがあったこと、それに尽きます(だって吹けば飛ぶようなこんな店、お客さまが通ってくれなければすぐに潰れます)
あと半年ほどで17周年。今日も流浪堂は流浪せずに目黒鷹番の地で古本の畑を耕しています。

と、自己紹介はこれくらいにして、水族館劇場との出会いですが、それは2013年太子堂八幡神社での野外公演「NOSTROMO あらかじめ喪われた世界へ」が始まる何ヶ月か前だったと思います。劇団のひとりの女の子が店にやってきました。公演のチラシと取り扱ってほしいチケットの束を持って。彼女は脇目も振らずレジの前に来るなり、水族館劇場の魅力と自分の思いを熱く真剣な眼差しでもって早口でしゃべりはじめました。それにしてもどこでどうしてうちの店にたどり着いたのか、と問うたと思いますが彼女の圧に押されてはっきりと憶えていません。ただ、前日に来たときには定休日だったのでくやしくて今日来てみた、流浪堂は水族館劇場と同じ匂いがする、というようなことを言っていました(のちに知りましたが桃山さんは以前からうちの店に来てくれていたのです。ポイントが全て貯まった小店発行のスタンプカードを何枚か持っていました)。
「水族館劇場」の名前は古本市場などで聞いたことがありましたし、野外劇場、アングラ劇団、現代の河原ものたちと聞いたらお役に立たないわけにはいきません。仮にも屋号に流浪の文字が入っているのですから。
しかしそれ以上に、あの時僕を突き動かしたのは、彼女とそのうしろにいる劇団の方たちから投げられた、目には見えない糸のようなものを決して離してはいけないという、心の中の声でした。その場即決で宣伝とチケット取扱いを承諾しました。店の都合で日程が合わず観劇は叶いませんでしたが、それが桃山さんたちと関わりを持つ始まりでした。

「また帰ってくる」との桃山さんの言葉を信じ、古本稼業の日常の合間にまだ見ぬ水族館劇場を妄想したり、また時には劇団の方たちのお話を聴く機会を持ち胸を熱くしながら一年が過ぎていきました。そして2014年、約束通り彼らは太子堂八幡神社の森に帰ってきました。この時の野戦攻城「Ninfa 嘆きの天使」で初めて体験(体感)した水族館劇場はあまりに衝撃的で、且つ胸震わせるものがあり、ぼくの想像を遥かに超えていました。あの夜視た光景は、時が過ぎた今でもはっきり思い出すことができます…
…神社の森の暗闇のなか、光に照らされ浮かび上がる舞台はどこまでも広がって果てがなく、そこで繰り広げられる異物たちの饗宴により沸き上がる笑いや驚き、いくつもの涙や叫び、そして大量の水がすべてを呑み込んでひとつの塊になり、手となって、ぼくに「おいで、おいで。こっちに来ないか」と手招きしているのです。 子どものころの恐いもの見たさにも似た感覚(街角のチンドン屋やサーカスのピエロを見たとき、畏れと興味の入り混じった感情が胸を占め、じっとしていられず、いけないと思いながら付いていってしまいたくなる気持ちにも似ています)は抗えず、幻惑・誘惑されていきました。そうしていつの間にか舞台とこちら側の境界がなくなり、「おいで、おいで」が目の前に迫った瞬間、その手がパンッと猫だましをぼくに食らわせ、はっと気づくと森の中の異世界は消え去り、宴の準備が始まっていました。今まで舞台上を飛び回っていた異質の者たちも、地上に降り普通の顔をして笑いながら酒を酌み交わしています。ぼくもお客のひとりとして勿体ない程のおもてなしを受けました。
しかし一体これはなんだったのだろうか。この圧倒された数時間はほんとうにあったことなのか、ぼくは夢を見ていただけなんじゃないか、と戸惑いました。だけど、答えが見つからずにいる心の中枢部分は、なぜかとても心地よくさわやかで、また水族館劇場にまみれたい中毒性100%の、不思議で強烈な体験でした。

その後、水族館劇場は東京を離れることになり、またメンバーの大半が離脱という悲しみ苦しみも背負いましたが、そんな艱難辛苦を乗り越え、新たに集まったメンバーとともに2016年5月三重芸濃町の公演「パノラマ島綺譚外傳 この丗のような夢」を成功させました。
そして7月、東京公演が待ち望まれているなか、流浪堂で開催してくれた芸濃町公演東京報告会で、桃山さんは「また必ず帰ってくる」と宣言してくれました。そう、その言葉通り帰ってきます。東京凱旋の日は近いです!パレードはもうそこまで来ています!

古本業界に多数あるコミュニティーから、自ら距離を置いて流浪堂はやってきました。馴れ合いになるのが嫌だからですが、そのためなんのコネクションもなく、宣伝するといっても微力です。けれど「水族館劇場」という、メディアのなかで騒がれているような虚像じゃなく実像がはっきり視える人たち、血も汗も涙もいっぱいしみ込んだ地べたに自分の足でしっかり立っている人たちのお手伝いが、なにかしらできるのではないかと思っています。一人でも多くの方に芝居を観てもらえるように。
3年前、彼らから投げられた見えない糸は今でもぼくの手のなか。しっかりと握りしめ、離しません。


流浪堂 二見彰    2016.12/1